2008年1月20日

新版 比較野球選手論|近藤唯之

●書名:新版 比較野球選手論 一球に賭けるプロフェッショナルたち
●著者:近藤唯之
●版元:新潮文庫
●出版:83年11月(単行本=81年11月PHP研究所)
●定価:400円(消費税施行前)
●評価:定価相応

古本屋に105円で出ていましたので、ためらわずに買いました。ヤフオクでは希望落札価格580円に入札があったようですが、アマゾンでは1円で多数出品されています。そこまで出さなくても入手可能だと思われます。なお、文庫版は30組の選手比較ですが、そのうち5組は単行本には収録されていないそうです。つまり、買うなら文庫のほうが「お得」ということになります。

さて、飯田徳治は走塁中のアキレス腱切断のために連続試合出場記録が1246試合で途絶えました。本書によれば、飯田は消灯後の病院のベッドで高校の校歌を歌ったそうです。

浅野学園校歌 作詞:高野辰之
九転十起に我れ世を経んと額に示す自立の心
検索してみると「九転十起の男」という映画もあるようで、「九転十起」は校訓にもなっているようですが、もとは「七転八起」なのに、なぜ「八転九起」ではなく「九転十起」なのでしょう? 後者のほうが語呂がいいとも思えないのですが…。何か「九転十起」でなければならない理由があるのでしょうか? 浅野高校関係者の方にご教示いただければ幸いです。

さて、次のような注目すべき記述がありました。
これは余談だが、プロ野球には“投手-捕手転向四天王”といわれる4人組がいる。240勝の若林忠志投手(阪神、毎日)、112勝の服部受弘投手(中日)、276勝の稲尾和久投手(西鉄)とこの米田である。 (200-201ページ)
「転向四天王」でGoogleのフレーズ検索をかけてみましたが、「一致するページはみつかりませんでした」になりました。きっと、近藤氏の周辺(だけ?)ではそう呼ばれていたのでしょう。

若林はハワイの高校時代に捕手から投手に転向しているようです。稲尾と米田も高校時代に転向しています。服部は捕手でプロに入り、1941年にはホームラン王になっています。もっとも打率は2割に満たず、ホームランは8本ですが…。戦後になって復帰した服部は、人材不足もあって投手を兼ねるようになり、投手として次のような成績をおさめています。
  • 1946年 37試合14勝7敗 204回 防御率3.75
  • 1947年 39試合16勝12敗 247回1/3 防御率1.81(2位)
  • 1948年 44試合16勝18敗 302回 防御率2.59
  • 1949年 44試合24勝10敗 290回2/3 防御率3.00(5位)
  • 1950年 41試合21勝7敗 238回1/3 防御率2.94(6位)

1951年からは三塁手に転向し、投手としての登板はめっきり減ります。同じ期間の打撃成績は次のとおりです。

  • 1946年 76試合180打数49安打2HR19打点 打率.272
  • 1947年 48試合105打数18安打2HR9打点 打率.171
  • 1948年 97試合277打数63安打2HR21打点 打率.278
  • 1949年 81試合160打数50安打6HR25打点 打率.313
  • 1950年 63試合120打数33安打0HR18打点 打率.275

その後も打者としては平凡な成績しか残していませんので、投手のままのほうがよかったのではないかと思われるのですが、1946年には13本塁打を浴びて被本塁打王になっています。本塁打王とともに被本塁打王にも輝いた?唯一の選手です。

これを近藤節で表現すると、「プロ野球70年の歴史を通じて、ホームラン王ばかりか被本塁打王にもなった選手は服部ひとりしかいない」という具合になるのでしょう。たぶん…。まあ、こっちの近藤節はまだ許せるのですが、私がハスに構えてしまうのは次のような部分です。

われらサラリーマン、どんな相手でもいい。あの男だけには死んでも負けるか――という相手をつくろう。 (199ページ)

いかにも「昭和」を感じさせるのでした。もともとは『夕刊フジ』の連載ものです。

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